2002-05-23 第154回国会 衆議院 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第4号
私ども故郷の出身の、非常に孤高の思想家でありました保田與重郎という人がいらっしゃいますが、祭政一致の暮らしこそ絶対平和の暮らしであるというふうに述べました。これはまさに、帝国憲法とか日本国憲法以前に、伝統を守るというのは、近代憲法そのものを放棄するんだ、日本の国が本当に祭政一致の絶対平和な暮らしを享受するのであれば、延喜式、祝詞式があれば十分だとおっしゃった方もいます。
私ども故郷の出身の、非常に孤高の思想家でありました保田與重郎という人がいらっしゃいますが、祭政一致の暮らしこそ絶対平和の暮らしであるというふうに述べました。これはまさに、帝国憲法とか日本国憲法以前に、伝統を守るというのは、近代憲法そのものを放棄するんだ、日本の国が本当に祭政一致の絶対平和な暮らしを享受するのであれば、延喜式、祝詞式があれば十分だとおっしゃった方もいます。
先刻鶴園委員からも理路整然たる転換期の蚕糸業について御質疑なり御意見がありましたが、私の経験から申し上げますと、この法律は昭和二十六年十二月十七日に成立をしておりまして、当時改進党の金子與重郎並びに現大臣である長谷川さん、それから不肖も、与野党が一致をして、当時自由党に野党が一致をすれば十名だけ多いと、こういう情勢の中で出てきた原案が糸価安定法という原案だったので、繭の安定なくして糸価の安定があり得
この点どう考えますか、そこで金子與重郎委員は、その点単味販売の方がかえって合理的じゃないか、あえて配合にする必要はないのじゃないかという質問をいたしております。あわせて御答弁願います。
なお、衆議院側よりは、私、安藤覺君、足立篤郎君、助川良平君、秋山利恭君、金子與重郎君、伊瀬幸太郎君が委員として参加し、専門員岩隈博君が補佐の任に当つたのでありますが、この際特に申添えておきたいことは、終始会議をリードし、積極的に審議に当られました金子與重郎君が、中途にして倒れ、幽明を異にせられましたことは、会議の進行にとりまして、非常なる痛手となり、返す返すも残念であつたことであります。
○武藤運十郎君 ただいま議長より御報告のありましごとく、衆議院議員金子與重郎君は、去る十月九日、にわかに逝去いたされました。私は、ここに諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで追悼の言葉を申し述べたいと存じます。(拍手) 金子君は、明治三十四年群馬権勢多郡粕川村に生れ、宇都宮高等農林学校を卒業せられたのであります。
二十五人とすることとし、その存続期間、権限及び次の国会召集の日までに支出し得る費用等については、昭和二十六年二月六日本院で議決した通りとするの件(議長発議) 吉田内閣総理大臣の政府の所信に関する演説 小笠原大蔵大臣の財政に関する演説 金光庸夫君の故尾崎行雄君に対する追悼演説 尾崎末吉君の故議員冨吉榮二君に対する追悼演説 花村四郎君の故議員菊川忠雄君に対する追悼演説 武藤運十郎君の故議員金子與重郎君
また、議員金子與重郎君は去る十月九日にわかに逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。三君に対する弔詞は議長においてそれぞれ贈呈いたしました。なお、この際、弔意を表するため、尾崎末吉君、花村四郎君及び武藤運十郎君よりそれぞれ発言を求められております。順次これを許します。尾崎末吉君。 〔尾町末吉君登壇〕
次に、すでに決定しておりました追悼演説の件ですが、名誉議員尾崎行雄君に対しては金光庸夫君、議員冨吉榮二君に対しては尾崎末吉君、議員菊川忠雄君に対しては花村四郎君、議員金子與重郎君に対しては武藤運十郎君、右四君が議員一同を代表して追悼演説を行うということに決定いたしましたが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
予備金支出は、すでに御決定を願つてやりました分で、菊川忠雄さん、それから冨吉榮二さん並びに金子與重郎さん、この三君の御逝去に伴う弔慰金が二百八十万八千円ということになつて、すでに支出をいたしてございます。なお、尾崎さんの衆議院葬の諸費用が、全部で二百三十万一千四百円になります。
名誉議員尾崎行雄君、議員冨吉榮二君、菊川忠雄君、同じく金子與重郎君の四君が逝去されましたことば御存じの通りでございます。この追悼演説者を決定しなければなりませんが、理事会においては、尾崎行雄議員に対しては年長者の金光庸夫君にしていただくことに決定を見た次第でございます。
員 井谷 正吉君 農林事務官 (蚕糸局長) 原田 伝君 農林事務官 (蚕糸局繭糸課 長) 酒折 武弘君 専 門 員 難波 理平君 専 門 員 岩隈 博君 専 門 員 藤井 信君 ――――――――――――― 十月九日 小委員金子與重郎君
十月九日 委員金子與重郎君は死去された。 同月十一日 委員加藤高藏君、吉川久衛君、和田博雄君及び 稲富稜人君辞任につき、その補欠として並木芳 雄君、本名武君、井手以誠君及び中村時雄君が 議長の指名で委員に任された。
それはすでにお聞き及びの通り、委員金子與重郎君が、一昨九日、日本医科大学病院において急逝せらた件でございます。まことに哀悼の至りにたえません。 これに関連いたしまして、委員佐藤洋之助君より発言を求められております。佐藤君。
昭和二十九年九月二十二日(水曜日) 午前十一時十四分開議 出席小委員 小委員長 佐藤洋之助君 田子 一民君 松岡 俊三君 松山 義雄君 金子與重郎君 吉川 久衛君 足鹿 覺君 芳賀 貢君 川俣 清音君 中澤 茂一君 委員外の出席者 農林委員長 井出一太郎君 農林事務官
昭和二十九年九月二十二日(水曜日) 午後二時八分開議 出席委員 委員長 井出一太郎君 理事 足立 篤郎君 理事 佐藤洋之助君 理事 綱島 正興君 理事 金子與重郎君 理事 芳賀 貢君 理事 川俣 清音君 田子 一民君 佐藤善一郎君 松岡 俊三君 松野 頼三君 松山 義雄君 吉川 久衛君 足鹿 覺君
○説明員(小倉武一君) 自由党から松野頼三さん、福田一さん、改進党の金子與重郎さん、それから社会党左派の芳賀貢さん、右派の川俣清音さん。
昭和二十九年九月二十一日(火曜日) 午後一時三十九分開議 出席委員 委員長 井出一太郎君 理事 足立 篤郎君 理事 佐藤洋之助君 理事 綱島 正興君 理事 金子與重郎君 理事 芳賀 貢君 理事 川俣 清音君 小枝 一雄君 田子 一民君 松岡 俊三君 松山 義雄君 吉川 久衛君 足鹿 覺君 淡谷 悠藏君
金子與重郎君。
昭和二十九年九月十七日(金曜日) 午前十一時二十三分開議 出席小委員 小委員長 佐藤洋之助君 小枝 一雄君 田子 一民君 金子與重郎君 足鹿 覺君 芳賀 貢君 川俣 清音君 中澤 茂一君 安藤 覺君 小委員外の出席者 農林委員長 井出一太郎君 農林事務官
昭和二十九年九月十五日(水曜日) 午前十時五十八分開議 出席委員 委員長 井出一太郎君 理事 佐藤洋之助君 理事 綱島 正興君 理事 金子與重郎君 理事 芳賀 貢君 理事 川俣 清音君 小枝 一雄君 田子 一民君 松岡 俊三君 松山 義雄君 加藤 高藏君 足鹿 覺君 齋木 重一君 稲富 稜人君
金子與重郎君。
昭和二十九年九月十四日(火曜日) 午後一時三十九分開議 出席委員 委員長 井出一太郎君 理事 綱島 正興君 理事 金子與重郎君 理事 芳賀 貢君 理事 川俣 清音君 小枝 一雄君 田子 一民君 松岡 俊三君 松野 頼三君 松山 義雄君 足鹿 覺君 齋木 重一君 中澤 茂一君 久保田 豊君
前回の委員会において肥料審議会の構成委員の問題について決議をいたしましたが、これに関して金子與重郎君より発言の申出があります。これを許します。
改進党松村幹事長は金子與重郎氏を在京議員総会できめた旨回答せられました。緑風森農林委員長に、五人の枠では緑風ははみ出すので御了承願いたい旨申入れました。森氏から一応承わつておく旨回答がありました。以上の申入れに際し、今回お願いした五人というものはそのまま将来の委員になるような話では一切ございません。 これが只今の連絡でございます。
昭和二十九年九月一日(水曜日) 午前十時二十二分開議 出席委員 委員長 井出一太郎君 理事 綱島 正興君 理事 福田 喜東君 理事 金子與重郎君 理事 芳賀 貢君 理事 川俣 清音君 秋山 利恭君 小枝 一雄君 佐藤善一郎君 田子 一民君 松岡 俊三君 松野 頼三君 並木 芳雄君 足鹿 覺君
昭和二十九年八月三十日(月曜日) 午後一時三十七分開議 出席委員 委員長 井出一太郎君 理事 綱島 正興君 理事 福田 喜東君 理事 金子與重郎君 理事 芳賀 貢君 理事 川俣 清音君 秋山 利恭君 小枝 一雄君 佐藤善一郎君 田子 一民君 松岡 俊三君 松山 義雄君 加藤 高藏君 並木 芳雄君
金子與重郎君。
金子與重郎君。
金子與重郎君。
金子與重郎君。